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世界遺産2「ドゥブロヴニクの旧市街」

世界遺産を巡ろう」弾で紹介するのは

ドゥブロヴニクの旧市街」

保有国:クロアチア共和国 分類:文化遺産 登録基準:(ⅰ)(ⅲ)(ⅳ) 登録年:1979年

ドゥブロヴニクの美しい街並み

※1994年範囲拡大/2018年範囲変更

概要

13世紀以降、地中海交易の重要拠点のラグーサ共和国としてヴェネツィアと並ぶ繁栄を、現在のクロアチア共和国の南部に位置するドゥブロヴニクは遂げた。今でも様々な建築様式が混在する美しい街並みが残っており、アドリア海の真珠」と称されたほどである。まじ綺麗。

ドゥブロヴニクの位置

ドゥブロヴニクの位置

ラグーサ共和国

1358年にハンガリー王国から独立し、アドリア海都市国家として隆盛を誇った。イタリアからのルネサンス文化の流入都市国家ゆえの多民族共生、高度な土木技術や法体系が特徴的。高さ25mの強固な城壁は共和国時代のもの。

しかし、1667年に起きた大地震や、オスマン帝国の東ヨーロッパへの拡大と大航海時代幕開けによる地中海貿易の不振によって衰退し、1808年にナポレオンによって滅ぼされた。

世界遺産登録とユーゴスラビア紛争

その歴史的価値が認められ、1979年に世界文化遺産に登録された。

第2次世界大戦後、ユーゴスラビア連邦民共和国の一部となったクロアチア民共和国(のちにクロアチア社会主義共和国と改称)。冷戦終結後の1990年12月に共和国憲法が制定され、翌91年に独立を宣言。他のユーゴスラビア内の国も独立を宣言し、ユーゴスラビアは崩壊。同時に各地で紛争が勃発。遺産はセルビアクロアチア内戦により甚大な被害を受け、91年に危機遺産(危機にさらされている世界遺産)として登録される。懸命な復興作業により、98年に危機遺産を脱した。

旧市街の「これを見たい!」

ピレ門:4つの城門のなかでもメインの門で、旧市街の入り口

ピレ門

フランシスコ会修道院(フランエヴァッキ修道院):ピレ門近くの修道院


ドミニカ修道院:現在は宗教博物館


スポンザ宮殿ブローデルが『地中海』を書くときインスピレーションを得たとか


ルザ広場:15世紀に建設された旧市街の中心地 歴史的建造物が集まる


ドゥブロブニク大聖堂(カテドラル):ロマネスク様式、バロック様式の大聖堂

ドゥブロヴニク大聖堂

城壁:旧市街を囲む全長1,940mの城壁 内戦で甚大な被害を受けた

登録基準(要約)

(ⅰ) 人類の創造的資質を示す遺産

(ⅲ) 文明や時代の証拠を示す遺産

(ⅳ) 建築技術や科学技術の発展を証明する遺産

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

登録基準について(読み飛ばしていただいて構わない)

顕著な普遍的価値の評価基準として10項目の登録基準が「世界遺産条約履行のための作業指針」で定められている。世界遺産にはこの評価基準のうち1つ以上が認められている。(ⅰ)から(ⅵ)を認められたものが文化遺産、(ⅶ)から(ⅹ)を認められたものが自然遺産、両方の登録基準にまたがるのが複合遺産となる。なお、登録基準や世界遺産登録の流れについては別の記事で詳しく解説するつもりだ。

参考にさせていただいたサイト

クロアチアの歴史について|クロアチア旅行専門・クロアチアツアーズ

 ドゥブロヴニクを含めクロアチアの歴史が詳しくまとめられている

世界遺産ドゥブロヴニク旧市街 | ホットホリデー

 「ドゥブロヴニクの旧市街」の構成遺産と歴史が簡潔にまとめられている

 上記の「旧市街の『これを見たい!』」ではこちらのサイトを参考にした

クロアチア世界遺産:ドブロブニク旧市街 | 海外旅行・海外ツアーは日本旅行

 「ドゥブロヴニクの旧市街」について簡潔にまとめられている

世界遺産を巡ろう」について

ichiryunoippanjin.hatenablog.com

世界遺産検定2級を持つ私が、自分の世界遺産についてさらに理解を深めると同時に、多くの人に世界遺産の魅力を伝えることを目的にシリーズ記事化したいと思っている。世界遺産検定についても記事にしていきたい。検定資格を持つと言っても、2級の範囲では世界遺産についてまだまだ知らないことの方が多い上に2級範囲の知識もすべてを完璧には理解できてはいない。今後皆さんと一緒に世界遺産について深く追求していければ幸いである。(上記の過去記事「世界遺産1『ルワンダ虐殺の記憶の場』」参照)

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「最後までご精読いただきありがとうございました!」

世界遺産1「ルワンダ虐殺の記憶の場」

世界遺産を巡ろう」、記念すべき第1回はルワンダ共和国初の世界遺産の1つ

ルワンダ虐殺の記憶の場:ニャマタ、ムランビ、ギソジ、ビセセロ」

保有国:ルワンダ共和国 分類:文化遺産 登録基準:(ⅵ) 登録年:2023年 

新しくルワンダ世界遺産保有国に

この世界遺産はつい先月(2023年9月)、サウジアラビア王国の首都リヤドで開かれた第45回世界遺産委員会にて登録された新しい世界遺産の1つであり、この遺産と自然遺産「ニュングウエ国立公園」の2つの登録によってルワンダが新しく世界遺産保有国に加わり、168の国と地域に世界遺産が存在することになった。

ルワンダの大量虐殺

1994年の4月から7月にかけて、ルワンダ全土で推定100万人が犠牲になる大量虐殺が起きた。当時ルワンダではフツ族ツチ族が対立関係にあり、94年4月6日フツ族出身の大統領ハビャリマナ氏の飛行機が何者かによって撃墜された。これを皮切りにツチ族を標的とした虐殺が始まった。ただしフツ族やトワ族の人々も処刑された例も見られる。これはインテラハムウェと呼ばれる武装民兵組織によるもので、多くの市民が虐殺に駆り立てられたのには、メディアによるプロパガンダや、経済不況による失業率増加、土地や食料を巡る対立が原因にあると考えられている。

登録施設

今回世界遺産に登録された4つの記念施設では

大量虐殺で犠牲となった人々が追悼されている。

・ニャマタの丘に建てられたカトリック教会(虐殺現場の1つ)

・ムランビの丘に建てられた専門学校(虐殺現場の一つ)

キガリ市のギソジの丘の記念碑(25万人が埋葬されている)

・ビセセロの丘の記念碑(虐殺勢力に対抗した人々を偲ぶ)

ニャマタの教会

ニャマタの教会:https://whc.unesco.org/ja/list/1586より
負の遺産

負の遺産とは人類が犯した過ちを記憶にとどめ、教訓とする遺産をこと。ただし、負の遺産世界遺産条約によって明確にカテゴライズされているものではない。負の遺産の特徴の1つは、登録基準(ⅵ)が単体で指定されるものが多いこと。10ある登録基準(次の機会で詳しく記事にする)のうち(ⅵ)「顕著な普遍的価値をもつ出来事もしくは生きた伝統、または思想、信仰、芸術的。文学的所産と、直接または実質的関連のあるもの」は他の基準とあわせて用いられるのが望ましいとされている。(ⅵ)単体で登録されている遺産としては、同じく負の遺産である以下のものなどがある。

・広島平和記念碑(原爆ドーム

アウシュビッツ・ビルケナウ:ナチス・ドイツの強制絶滅収容所(1940-1945)

・ゴレ島

参考にさせていただいたサイト

ユネスコ世界遺産センターの公式サイト

 

ルワンダ虐殺の背景が分かりやすくまとめられている

世界遺産を巡ろう」について

世界遺産検定2級を持つ私が、自分の世界遺産についてさらに理解を深めると同時に、多くの人に世界遺産の魅力を伝えることを目的にシリーズ記事化したいと思っている。世界遺産検定についても記事にしていきたい。検定資格を持つと言っても、2級の範囲では世界遺産についてまだまだ知らないことの方が多い上に2級範囲の知識もすべてを完璧には理解できてはいない。今後皆さんと一緒に世界遺産について深く追求していければ幸いである。